心の音

心に浮かんだ言葉を書き残しています。時折、写真と共に。

ペットと暮らして一番幸せなこと

お題から。

お題「ペットと一緒に暮らしていて一番幸せを感じた瞬間」

 

私が今飼っているわんこは2代目オスのヨーキー。

先代は実家で小学校低学年から社会人になるまで飼っていたメスのヨーキー。

 

ペットと暮らしていて一番幸せを感じた瞬間。

2代目とは実はまだそこまでの幸せを感じたことは無い。

むしろ家に来てからの一年は過酷だった。

育犬ノイローゼになるほど手がかかっている。

ようやく1歳半を過ぎ彼と意思疎通が図れるようになり。

楽しいと思える毎日はまだ始まったばかり。

 

2代目家に来たばかりの頃

 

先代は元気いっぱいだけど、人の気持ちに敏感で寄り添ってくれる優しい子だった。

幼少期は辛いことが多かった。

しんどいときは、彼女に愚痴をこぼす。

何分でも顔を見て心配そうに話を聞いていてくれた。

部屋で泣いているとわざわざ階段を上ってきて隣に寄り添ってくれた。

 

先代が家に来たばかりの頃

 

彼女が亡くなったとき、世界が白黒になった。

来る日も来る日も泣いた。

もう生きていけないと本気で思った。

彼女はいつしか私の心と体の一部になっていた。

彼女がいたから私は生き抜けたのだと痛感した。

 

2代目は先代とは違う。

これから2代目との暮らしの中で生まれる幸せもきっとある。

先代とは16年過ごしたが、彼とはまだ1年ちょっとしか共に居ない。

君との物語はこれからだ。

 

ペットとの暮らしは大変なことも多いけれど、かけがえのない物をくれる。

そんな風に思える2匹のわんこと出会えたことが私にとって一番の幸せだ。

 

良き相棒になってきた現在の2代目

 

帰省に対する複雑な気持ち

今日は本当にただ思ったこと。

 

私の故郷に秋に帰省する事になった。

ただ、私の家は特殊なので(過去記事を読めば分かる)

実家に宿泊どころか移動手段も自分たちで調達せねばならない。

わざわざ帰ってこなくて良いと言われているので、向こうとしては援助する必要は無い。

 

今回は旦那さんが3泊4日で帰ろうと言ってくれた。

しかし犬連れとなると宿に車の手配にとかなり額がかかるらしい。

旦那さんが小声でお金が結構かかると言っていたのが心苦しかった。

旦那さんは私から見たらかなり財布のひもが固いので、さらに申し訳なさを感じてしまう。

 

旦那さんの実家は帰省となると泊まらせてくれるし、交通費も援助してくれるし、駅から送迎までしてくれる。

旦那さんにとってはそれが普通だから、逆に何の援助も無い私の実家にどんな感情を抱いているだろうか。

正直いえば自分の地元に帰りたいと言い出しづらい。

私は地元は好きだ。

友達にも会いたいし自然が多くのんびりした雰囲気が気に入っていて帰りたいと思うことが多い。

たまたま実家がそこにあるだけなのだ。

 

けど、帰るのにお金がとてもかかる。

だから一人で帰ると言うんだけど、旦那さんにしたら違うみたい。

旦那さんは目的は実家に行くことじゃなくてあくまで観光だよと言ってくれる。

 

母は精神疾患があるので普通の人の価値観で生きていない。

義母がよく言う。

「お母さんも会いたがっているでしょう?」

「実家に泊まったりして欲しいんじゃない?」

というのは全て義母の思うことであって母は思っていない。

 

母は私にたまに会ってちょっとお茶をするぐらいでいいのだ。

嫁いでいようが県外に居ようが。

私もそれぐらいで良い。

長い間一緒に居ると必ず私を見下して話し始めるので鬱陶しいし疲れる。

実家ルールはうんざりするほど細かいので、旦那さんが泊まるなんて土台無理。

 

歩きながら歯磨きするし、排水溝の髪の毛は捨てない。

踵から歩くし食事中にトイレに立つ。

全て実家ルールでアウト。

これを守れない旦那さんが泊まるなんて母からしたら悪夢だ。

私も母ルールは完璧に守ることは出来ない。

絶対実家になんて泊まりたくない。

 

専業主婦で子どもも居ない私なんかにお金をかけてもらうのは申し訳ない。

そしてそんな実家に寄らせるのすら申し訳ない。

 

今回の帰省で改めて自分には帰る場所が無いことを痛感する。

それでも地元に帰って大好きな場所を巡れるのは素直に嬉しい。

夏になると聞きたくなるアルバム

お題から。

お題「夏に聴きたくなる音楽と言えば」

 

夏に聞きたくなると言えばASIAN KUNG-FU GENERATION『サーフブンガクカマクラ』。

夏にはサーフブンガクを流しながらキラキラ輝く笹川流れをドライブをするのが楽しみでした。

私にとっては江ノ島の風景と笹川流れの風景が浮かぶアルバムです。

 

youtu.be

 

中でも江ノ島エスカーは私にとって思い出深い曲。

聖地巡りを決行した当時、しんどい状況に置かれていた私。

この曲を聴きながら江ノ島で見た水平線。

江ノ島エスカーに乗ったこと、きつかった坂道。

美味しいしらす丼を食べた事とか。

この曲を聴いているとあの当時の心境と共に蘇るのです。

 

実はこのアルバム2008年に発売されているのですが今年完全版がリリースになっております。

新しく加わった曲も心が弾む曲ばかり。

 

完全版を聴きながら江ノ島巡り、夏の美しい笹川流れをドライブしたいな。

 

youtu.be

 

 

 

レジ店員あるある

今日はお題から。

お題「レジでの出来事あれこれ」

 

計9年ほどレジの仕事をしたことがあるので本当に沢山のお客様と接してきた。

店員側から見たあれこれ。

 

○袋にぱんぱんに詰めた小銭を持って来て、「これ使ってください」

(さすがに使えるわけ無いので断った)

○レジに通してもらうとき商品を投げつける

(新品に対する扱いがこれとは・・・)

○売り場を聞くとき「おい!姉ちゃん!」と毎回声をかけてくるおっさん

(しかも毎回入店して即これ。まず自分で探そ?)

○売り場に案内したら欲しい商品が無かったらしく「土下座して謝れ!」と突然怒り狂うおっさん

(何で怒ってたのか全然理解できなかった、ただ怒鳴りたいだけの人)

○丁寧な接客を勘違い、ストーカーと化すおっさん

(これが原因で警察まで動く始末で職場を辞めた、なぜ勘違いされたか未だ謎)

○レジがトロい、お前は仕事が出来ない!と延々言ってくる風変わりなおばはん

(ただの八つ当たり)

 

強烈なお客様は意外とこれぐらい。

 

あとはあるある

 

○レシートを毛嫌いする人

(手でレシートだけ避ける、レシート要らないが言えない君の口は役立たずか?)

○会計が終わってから商品券があったわ!と出してくる

(次使ったらええやん!)

○買い忘れがあったと後ろの行列も無視で売り場へ消え、帰ってこない

(注意する暇も無く消える人、後ろの人も迷惑なので改めて並ぼ?)

○混んでないのに2レジ開けろ!とキレ出す

(並びたくないだけ、自分だけのために世界は回ってると思っている)

 

思い出せる範囲ではこんな感じ。

レジの仕事って結構ハードなのだ。

お客さんのストレスのはけ口にされる事が多い。

クレームが真っ先に入るのがレジである。

怒りに満ちたお客さんの怒りのボルテージを下げるのは疲れる。

 

ただ、この仕事が続けられる理由がある。

それはお客様からの「ありがとう」などの感謝の言葉やお褒めの言葉。

私のファンと言ってくれる子ども達には癒やされた。

お客様から手作りの折り紙やタオルで作ったぬいぐるみを頂いたときも素直に嬉しかった。

こういう経験があるから、この仕事を嫌いになれない。

 

ふてくされた店員さんにも理由があったりする。

様々な背景を無視して“接客が悪い”とクレームを付けないでほしい。

私はレジ店員が笑顔じゃ無くたって良いと思っている。

丁寧にレジを通してくれるだけで十分。

 

もう少し心のゆとりのある社会にならないかな。

レジ店員さんは貴方の為にレジを打ってくれている。

ストレスのはけ口になんてしないで欲しい。

今日も働くレジ店員さんにありがとう。

 

 

一寸先は光な我が家のわんこ

今日は久々に旦那さんも出社、予定も特に思い当たらぬ日です。

こんな日は写真を編集したり・・・とも思ったけれど、だらだら過ごしたい。

 

そういえばブログを更新し始めて多分一ヶ月は経つでしょうか。

昔はブログを書くのが大好きで毎日更新していた時期もありました。

今は更新が億劫な日が多くて難しいですね。

若かった頃はもう少し粘り強さや根性があった気がします。

どんどんと年をとって疲れやすくなり、面倒になり。

休みたいが先立つようになりました。

 

今日の管長日記。

円覚寺横田管長が

 

“一寸先は光”

“念ずれば花開く”

 

と仰ってました。

念ずれば~の方は坂村真民先生の詩の引用だったでしょうか。

 

我が家のわんこ。

2年しか生きられないかもと言われている病気を持っています。

だけど元気いっぱいに1年5ヶ月を過ごしています。

先月の血液検査も数値が改善。

2年より長く生きられる可能性が見えています。

私はこの子はもうだめだと諦めた時もありました。

けれど“一寸先は光”ですね。

宣告も吹き飛ばし命を燃やしている存在が居るのです。

 

横田管長のお言葉とわんこの元気いっぱいの姿に勇気づけられる日です。

 



 

底辺の職業ランキングに思うこと

昨日ちらりと見かけたのだが、底辺の仕事ランキングとやらが一昔前発表されたらしい。

内容について触れるつもりはない。

 

私は土木作業員の父と専業主婦の母の元で育った。

勿論生活はまぁまぁ貧しかった。

母はモラハラ気質。

父の仕事はバカでも出来る、穴を掘って埋めるだけだと見下していた。

父もそれを否定した事は無かった。

だから私もある時まで父を見下していた。

稼げない役立たずとか穀潰し、とんでもない事を言う奴だった。

 

高校卒業後の私は社会情勢が悪く正規の仕事が見つからず。

フリーターとして社会に出ることになる。

某ショップ店員。

当然母からは見下されたし自分自身、社会の最底辺だと思いこんでいた。

数年後に縁あって父と同じ会社で事務として働くことになる。

建設業で働く人達の姿や父親の仕事ぶりを目の当たりにする。

 

“バカでも出来る”という母の表現は酷いものであるが学力より体力仕事である場面が多いのは事実な気もする。

しかし、“穴を掘って埋めるだけ”という工程も実は命懸けなのである。

工程を誤れば命を落とす作業員もいる。

夏場になれば熱中症で亡くなる方も出るのだ。

 

そんな建設業界に身を置くうち職業の貴賎など有りはしないと思うようになった。

例えば、私が勤めてきたショップ店員。

見下されがちだが存在しなければ店は成り立たない。

当然私達の生活はお店の存在に支えられている。

食料品や生活必需品を買うお店がなければ私達は生活できない。

笑顔のオマケまで付けてくれる。

 

父と同じ会社で働いたのはほんの2年。

けれどこの二年で父や父が就いている仕事への思いは大きく変わった。

 

父の仕事は給料は安くても立派で大切な仕事だ。

この人たちがいなければ私達の豊かな暮らしは存在し得ない。

道を直し、古くなったガス管や水道管を替え、災害が起きないように日々街作りをしている。

 

どんな仕事も馬鹿にしてはいけない。

 

父の技量は実は社内でトップレベルだそうだ。

 

当時の私の振る舞いは本当に申し訳なかったと心から思う。

 

今の私は父をとても誇らしく思っている。

とても大変だけれど必要とされる仕事を長く続け、育ててくれた事に心の底から感謝している。

 

そして全ての働く人達へ日々感謝なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分嫌いが自分を好きになれるまで

旦那さんが久々に出社したので一人時間を楽しんだ日。

 

今日もお題から。

 

お題「自分をちょっと好きになれたとき」

 

昔の私は自分のことが大嫌いでした。

自分を傷つけることも当たり前のようにやりました。

自己肯定感が育ってこなかったので仕方ないのですが。

 

でも今は自分のことが結構好きなんです。

 

私が自分を好きになれた理由。

親離れできた事が一番の理由だと思っています。

親がおかしくなったことで私を囲っていた世界が壊れて。

自分の力で社会に踏み出したこと。

出会った人たちが私のことを励まし支え時に叱り、育ててくれたこと。

 

少し遅めの20代後半。

自分の頭で考え、心の感じるままに進んだ。

お前は面白いと評価してくれる人も出てきた。

趣味で始めた写真もSNS等で使用して戴いたり。

自分の始めたことが評価されると大きな自信につながります。

そのうちに自分の不出来な面も可愛いものだな~と思い始めて。

 

あの頃とはずいぶん変わったと思います。

自分嫌いな私はまだ心の中に生きているけれどそれに支配されることはもう無いはずです。

 

育った環境や親を今は恨んでもいないです。

その経験が無ければ今の私は存在していないから。

そう言えるぐらい自分が好きです。

 

もうすぐお盆ですね。

お墓参りは必ず行っていたのですが遠方に越して中々行けていません。

会えなくなった人たちを思い出す日。

そして自分のルーツに感謝する日。